OSHO和尚の話「Joy」喜び

「OSHO和尚の話*Joy*喜び」

OSHOの本。

私の読書って、最初から最後まで熟読するときもあれば、速読するときもあるし、辞書のように使う時もあるし、パッと開いたページに今必要なことが書かれているからと思って、パラ見するような読み方をしたりと、いろんな読書をしています。

その中でも、このOSHOの本は、パラ見するような読み方に近い。

 

不思議なことに、OSHOの本は、ちょうど私に必要なページを開かせてくれます。

 

というのは、表向きのきれいな体裁とでもしておきますが。(笑)

 

正直、OSHOの本は、最初から熟読するように、読み進めていくと、めちゃくちゃ苦しくなるんです。

言われたくないことが、歯に衣着せず、まるで、私の魂にパンチするかのように、直接、問いかけて、奥の奥の、本人ですらも、隠していたかった部分をえぐり出されるような感じがする・・・・。

 

わかりやすく言えば、エゴや、体裁(いいかっこしーな自分)、自分で自分を惨めに貶めているトコや、、、、、まーもっというと、もっともっと、貪欲的なもの、欲望的なもの、渇望しているコト、あがいているコト、ゴウっと火に焼かれるような思いがしたと思うやいなや、

 

体の奥のほうで、ゴーーーーーーゥって唸り声をあげているような感じがして、

どこからともなく、OSHOの声が、

「おまえは馬鹿だ。何をしてるのだ?」

って、見えないパンチされたような感じになるから、全文熟読することが、なかなかできなかったんですよね。(笑)

 

なんか、、こんな風に書くと、えー何この本!?ってなると思うのですが、言い直します!

めっちゃ良い本です!

 

実は、読み直したんです。(笑)^^

 

今、このタイミングに、なぜだか、OSHOの話になって、そういえば、と、出してきた本なんですが、この【Joy】は、比較的、新しい出版(2013年)で、訳者の方も、山川夫妻(スピリチュアル関係の本を訳されているご夫婦・聖なる予言とか、THEシークレットとか)なので、かなりわかりやすい文章になっている感じがします。

 

今は、パッカーンと愛が飛び込んでくる感じです。

「手放しのワーク」とか日々やっているので、言葉にするとそうそう、こんな感じ!というのが腑に落ちているからかな。

 

まあ、相変わらずパンチの効いた言葉が多いし、

 

OSHOから、私たちに投げかける質問は、本質をえぐるような質問だし、(笑)

人々の問いにもOSHOの答えは、かなりばっさりというかバチコーンと、打ち返しています。(笑)

 

 

私が、いくつか、パッと思った文面を、ちょこっと引用させていただきますね。

幸せとは何かね?

それはあなた次第だ。

~略~

あなたが幸せを望んだ瞬間、あなたは現在から離れてしまっている。

~略~

幸せへの欲望は、あなたがこの瞬間、幸せではないということを示しているだけだ。

幸せへの欲望は、あなたが惨めな人だということを示しているだけだ。

~略~

あなたは今日、不幸せだ。

~略~

だから、まず大切なことは夢を見ないこと、思い描かないことだ。

~続く

 

もっと紹介したいことが、ありすぎてしまう(笑)ので、この辺で。

 

とにかく、OSHOは、

幸せとは何かね?惨めにしているのは誰かね?

 

特に、この本では、「幸せ」と「惨めさ」について真の理解をするために。という切り口で進んでいる感じです。

 

下記も、引用ですが、

の中には、っている人と覚めている人、2パターンいる。

っている人の幸せは、楽だ。瞑想をしない人は、っている。瞑想をすると、眠りから出て覚めへと向かう。

福を探しなさい。それはあなたのうまれながらの利だ。

楽は、他人に依存していて、福は依存していない、それこそが、あなたの在そのものだ、それこそがあなたの質なのだ。

 

※これから、ブログで、私が読んでいる本から抜粋してご紹介できればと思います。

 

では、またね。Yoko

 

 

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)は、私の叔母が、古いサニヤス(サニヤシン)ということもあり、かなり昔から知っていた。そして、日本のサニヤス(サニヤシン)の方たちとも、比較的交流があった。が、私はサニヤス(サニヤシン)ではない。

OSHOのことは、知っていたけど、OSHOの話は、当時は、全然、よくわからず。だけど、初めて出会ったタロットがOSHO禅タロット。なんだか怖いイメージがあったけど、今じゃ、この禅タロットは、私の道しるべだったり、セッションで使ったりと様々に大活躍。これほど、本質をついているのって、なかなか無い。