全ては、「うまくいっている」

全ては、「うまくいっている」



うまくいっている、うまくいっていない。

って、決めるのは、誰?

そう、それって、どこまでいっても「自分/エゴ」なんですよね。

結論からいえば、

何があろうとも「自分がうまくいっている」と思えたら、それで善かったりする。



 

ちなみに、ここでいう、「自分/エゴ」の定義として、提案しておきたいのが、

エゴ: 自己、自我。認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分。

ということで、エゴというのは、「自分とはこういう者・モノだ」と、他と区別をしたがるもの。

ただ、そういうもの。



 

結局、起こっていることというのは、ただの事実であって、

その「ただの事実」を、自分のエゴ(ようはマインド)で、いいとか悪いとかを「解釈している」そして、さらに、ああでもない、こうでもないなどと、そのあと、自動的に動き出すマインドの動きに、振り回されているだけ。

でも、冷静に考えてみると、

 

「何も起こっていない。」

 

事実と、そう解釈してる自分に、ハッと、気付きが入るだけでいい。

 

だから、「うまくいっていない」と思う必要もないし、

解決しないといけないことは、何もないし、

実は、本当に、何も起こってもいない。

起こっているのは、自分のマインドの中だけ。

 

あと、だからといって、「うまくいっている」と思う必要も特にないけど、笑

でもまあ、それも、「エゴ」の働き。でしょう。

どちらかと言えば、良く思えたらいいしっていうこちらも自動でマインドが動き出しています。

 

 

 

 

私のことですが、実は、この月末から、奄美大島へ行く予定にしてたのを

全キャンセルし、今、このブログを書いてます。

 

この 「全キャンセル」・・・・我ながら、潔かったかというと、そうではなく、けっこう悶々としてました。「よし、辞めよう!」って決めちゃうと、びっくりするくらいに、いろいろ軽くなったのですが、それまでは、ほんと、自分のマインドに揺さぶられる揺さぶられる。

今回、奄美大島では、靈氣の伝授クラスも予定させてもらっていて、4人ほど伝授を心待ちにして下さってたので、それも、予定して下さっていた方々へも、申し訳ない気持ちもあるし、自分も嬉しくて、開催したかったという気持ちもある。今までだったら、何がなんでも、行ってる私だったんですが、

今回は、直前に、なんと身体からストップがかかってしまって、どうしても動けず、今動いてしまうとやばいと危険を察知し、行けなかったんです。向かうことを諦めざると得なかったというか、もう諦めたと言う感じに近いんですが、、、。

それがね、目の奥に激痛が走るんです。眉の奥のあたりに頭痛がするというか、頭痛ではないんですが、この痛み、いったい、なんのサイン?

 

 

でも、ぶわーーーて、マインドがやってくるんです。

いろんな人に入れてもらってた予定のドタキャンのことや、いろいろかかっているお金のこと(前泊ホテル、航空券など諸経費)のことについても、

まさに、三次元的なマインドの動き。ああ、どうしようか、こうしようか、ああ、ええと、ええとなんて、ちゃっかりドラマに巻き込まれる。

 

そこで、そのドラマから、離れてみなさい、と試された感じです。

そのドラマから離れた感覚、ただ、何も起きていないという領域(三次元ではない場所、別次元、高次元の感覚)

それが、ゼロポイント《空(無)》なんですが、そこの感覚になると、いろんなことから解放されて ただある感覚でしょうか。

不安や恐怖やらのドラマにも巻き込まれず、その不安や恐怖すらも、自分で引き起こしているという感覚に気がつき、さらにそれすら消えていく。

いろんなマインドを手放していくというか、離れていく感じの領域へ。

 

そうなると、身体のその痛みは、一瞬は、和らぐんですが、この痛みの感覚ってすごいですね、マインドを手放した後も、なんか最後まで残っているんです、これはどうしたら消えるんだろうか・・・というまた不安にも陥るんです。

 

最終的に、その身体の痛みが、もうどうしようもなくなって、泣きたくなってくる。

もう、ごめんなさい(←いったい誰に向かっていってるんだろうと思うけど、きっと自分の内側の自分に対して言っている。)

全て手放しますから、、、もう辞めます。って泣いて叫びたくなって、

どうにでもなれ~くらいの諦めの手放しが起こる。

 

すると、全部から、解放された気持ちになって、

ほんとに、スッと、柔らかいエネルギーに包まれる。

 

ああ、これだな~。

私が、私自身に嘘をついていると、身体も宇宙もそう反応して私に知らせようとしてくれている。自分の内側はもう、ごまかしがきかない世界に突入してます。

自分に嘘がつけない。

違和感のあること、望んでいないこと、無理していることなど、

ようは、「自分の本質を生きていない」となると、いろんな不調和として、内側の自分からドンドンドンって「違うよ、違うよ!」ってノックされ、いろんな形で、宇宙も教えてくれるようになっている。

 

きっと、私のエゴ的なマインドの働きで、こうしたほうがいい、ああしたほうがいい、と人生をコントロールしようとしていた自分に~ふと気がつくわけです。

(ああ、ごめんね。そうじゃなかったね。)

なんて、優しい気持ちにもなれる。

自分を自分の内側の子のことを分かってあげるのってすごく大事です。

そうすると、本当に、ふわってエネルギーが一気に変わる。

私は優しい気持ちに包まれます。

 

 

 

普段、あまり体調を崩すことがほんとにないので、一体、何が起こってるだろうかという感じと、あと、私の肉体レベルの反応は、精神的なことが顕著に顕れるタイプ(精神に大きく作用されている)だということを、先日のインド占星術の鑑定に言われていたので、

 

なるほどな~と。

ああ、何か、内側で、うごめいているといえば、そんな感じかな~と、感じてました。

 

この奄美大島行きのキャンセルを機に、また浮き彫りになった、三次元で創りあげている自分のドラマから抜けていく感覚を体験した次第です。

 

でも、ここんとこしばらく感じていた低空飛行

そして、この数日間の追い打ち、

より自分の本質が浮き彫りになっていっているような感じです。

いろんなやっていることに対して「意味」を感じなくなってきたんです。

 

というのも、何かやっていることに対して、意味を持たせたいのは、私の「エゴ」。

自分というのに意味を持たせたいから、いろいろ「意味」のあるように感じることをやっている。

そうすると、「安心」なんです。ああ自分は、自分として存在している。特別な存在なんだって、エゴが安心する。

 

自分に意味があるから、存在している。

エゴは、そういう特別な自分と自分以外の他者やモノを区別したがるのに対して

 

本質は、そんなことどうでもいいですから。w

本質は、意味なんかなくたって、したいものはしたい、やりたくないことはしない、「ただ、純粋にそうでありたい」だけ。

だから、純粋に動いていることに対しては、何も違和感はないのだけど、

それ以外の何か意味を持たそうとすることに対して、本来の自分(本質)が許可していいないことをやろうとすると、何らかしらの、不調和や、身体の反応が起こる。

ただ、それだけのこと。



 

それで、ここに来て、私は、いろんなことが「無意味」に感じてきているわけです。

何をしてても、ただそうあるだけ。

それ以外なにもない。

起こることは起きるし、起きないことは起きない。

自分が何か、して起こしているわけでもなく、ただ、そうであるから、起こっている。

自分が今まで意味を持たせていた物事には、何にも意味はそもそもなくて、

そえこそ、全て「無意味」なんです。

ただ、それは、ネガティブな意味の無意味というのでなく、

どちらかというと、より純度の高いエネルギー領域にいるというか、

いろんなことが、何にも意味を持たせなくても大丈夫という領域。

意味なんか、なくて大丈夫。

だから、今までのエゴが創り出してた自分はそれで「安心」という感覚を、

はるかに凌駕する「絶対安心」領域にいる感覚。

そこは、何が起きても大丈夫だし、起こることは起きるようになっている。ただそれだけ。

それにもいいも悪いもなく、ただ、起こっている。

それだけのこと。

 



 
 信頼とはただ、なにが起ころうとも、それと共にあるということだ

「信頼とはただ、なにが起ころうとも、それと共にあるということだ、うれしそうに、仕方なくではなく、嫌々ではなく――。それだと、あなたは要点全体を逃す。それよりも、踊るように、歌を口ずさみながら、笑いながら、愛をもって。起こることはすべてよいことなのだ。

存在は間違いようがない。もしそれが私たちの願いを満たさなかったとしても、それはただ、私たちの願いが間違っていたというだけのことだ」

Osho The Path of the Mystic, Talk  #3
 

それでは、今日もお読み下さってありがとうございます!

また!

 



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