意識的に「時間」の観念をとらえてみる。

意識的に「時間」の観念をとらえてみる。



2022年の春分をもうすぐ迎えようとなります。

昨年(2021年)の春分の日から、1年。

この月日の経過の感覚、いうなれば「時間」の感覚ですが、

私の中では、あきらかに自分の中で「激変した」と確信をもって言えるテーマの一つです。

今日は、そんな私の

「時間の感覚」と「幻想」について、お話進めたいと思います。



どういうことかというと、

ここにきて、

 

「時間は、存在しない」「時間は連続性を持たない」という感覚。

「観ている現実は、創り出している現象で全てが幻想である」という感覚。(こちらは、書く余力がなくなったので、またにします(^^ゞ)

 

まずは、「時間」

例えば、同じ1時間でも、私がAの行動をしているとき、私がBの行動をしているとき、それぞれ、時間の流れ方や経過の感覚が違う。認識の上では、「時間」という概念的思考から、考えるので自分の中で「1時間経った」という認識を創りだしている。

でも、そう、「創り出している」だけのような感じなのです。そしたら、いったい私は、「どこを」生きているのだろうか?と、「時間」に疑問を持ったからこそ故の、疑問が生まれる。

今までの私には、そんなことに疑問すら起こらない。「ただ、この1時間Aををしていた。だからそこ(そのAに費やす時間)に居て、そこに生きていた。」あたりまえに、そうであることに何の疑問も持ってはいなかった。

ところが、ここにきて、

今、こうして、ブログを書いているときも、ふと、

時間って、どこに存在するのだろう?

 

私は、このブログを書いているけど、こうしている間に、刻一刻と過ぎている。という感覚を創り出している。←だから、その時間の流れが生まれている。

焦点を絞らずに、意識的に、「今」にいる感覚になってくると、

この今の瞬間には、ただ、何もなくて、いうなれば、「無限」。だから、そこから、「どこに向かうか」は、まだ、この瞬間には、何も決まっていない。

ただ、無限の中にいる感覚

自分は何者でもなく、自分すらそこにいなく、ただ、何か領域が広がっている。

まだ「全てが未決定な領域のみ」に浮かんでいる。というか、

溶け込んでいるというといったニュアンスなんです。

 

 

例えば、これ、AとB

一見同じような写真ですが、

 

A

 

B

 

でも、こうすると、わかりますか

 

A 

 

B 

 

Aは、私が、周りから、独立してある感じ。

Bは、私が、周りに、溶け込んでいる感じ。

 

このAの感覚で、私は、いつも生きていたので、この「白い空白の部分」を自分のマインドで考え、埋めていく作業。そして、願望でも、ネガティブでも、なにかと決定させ、あたかも、自分がコントロールして、「進ませていた」ような感じ。でも、よく観てみると、ここでは、、ただ自分が、観たい世界をイメージで創り出しているだけで、

進んではいない。進んだ気になっているだけ。

 

そして、さらには、こうも思うのである。

この世界は、2元性の世界。陰陽など、反発しあう、つまりは、打ち消し合うエネルギーが、同時に存在して、ゼロ調和のもとに成り立っている。

ということは、

何かを思った瞬間に、反する同量のエネルギーが生み出され、全てを相殺する。ようは、Aを思えば、「-A」という、打ち消すエネルギーも同時に生み出されて、瞬時に0ゼロという調和が起こり続けているだけに過ぎない。ので、結局は何も起こらない。

プラスを思ったら、すぐにマイナスも顕われて、ゼロ(調和)になる。その逆もしかり。

と、考察を進めているのです。



あ、ここで、いうときますが、私は時間の専門家(物理学とか学者さん系)

ではないので、勝手なことを、思うままに書いてますが、「ふぅん」という感じで、読んでくださいね。^^:

 

話は戻って、

結局、マインドで何を創り出そうが、打ち消されてしまう。ということは、何を思おうが思わなかろうが、どっちだっていい。

ポイントは、Bの状態である。

この時、周囲に溶け込んでいるというか、私自身が世界そのもの。世界も私。

分離がないのです。ということは、ココには、私を私たらしめる、自我(エゴ)がない。

となると、物事は、起こってくるんです。この宇宙の営みが、川が上から流れるように、そうであることがそうであるように起こってくるだけ。

そこに私のマインドは一切、関わることなく、そもそも、本質とマインドは、まったく別物。というか、本質は本質であり、マインドは、「マインドの働きをする」というものであるだけ。

 

そして、最終的に私が何が言いたいかというと、

最近の私は、考える必要がないというところに着地して、今、生きることそのものを冒険として、楽しんでいるということである。

考えても、打ち消し合うのであれば、(考えることがムダとまで言わない、考えるのが楽しいときだってある)、起こることは、マインドの領域を超えて勝手におこってくるのであれば、マインドは、必要ない。

ただ、私は起こる宇宙の営みを、観察するのみである。という境地。



 



そこに、私が本来、「そうである」という、在り方に勝手になっていくんじゃなかろうかと。

そうまさに、ハンドル(人生のコントローラー)を手放して、どこに向かうのかをただ、体験を楽しむだけで、行き先や経験することは、宇宙の壮大な愛と調和のもとで起こっていることに、身を委ねるだけ。

それが、宇宙が私たちに幸せであることを願うように、起こしてくれている。宇宙そのものが愛と調和でしかない。となると、極論、私たちは、幸せにしか、なれない。というか、幸せそのものだと気づきます。

そう宇宙にデザインされていることを信頼するだけ。

この感じの世界観を採用すると、ほんとに、めちゃくちゃ幸福度はあがるのだ。



 

それでは、今日も読んでくださってありがとう!

 

 

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ーーー後記ーーー

私のファスティングプログラムにご参加いただいた方に抽選会をしました。

ご当選された方への賞品は

▲私の「宇宙セッション」(個人セッション)を30分。

▲特製のエネルギー調整もの。

30分の宇宙セッションの感想(シェア)をいただいたので

Instagramでご紹介させてもらったよ~。

必要なタイミングに必要なことがちょうど起きたのだと思います。

 

 
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